異次元超人

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selector infected WIXOSS〜劇場版 selector destructed WIXOSSを観た/カードゲームを肯定する物語としてのウィクロス

selector infected WIXOSSselector spread WIXOSS、劇場版 selector destructed WIXOSSを観た。一応販促アニメ、というていなのだが、販促らしい販促というのは一切行わない。しかし物語そのものが力強いカードゲームへの肯定となっており、だからこそわかりやすい販促がなくても販促アニメとして成立したように思えた。本エントリーではTVアニメのWIXOSS三作をウィクロス、カードゲームとしてのWIXOSSをWIXOSSと記述する。

 

背景美術と物語の関係

 ウィクロス現代日本の街を舞台とした作品である。一つの街の中でキャラクターたちは邂逅し、戦い、物語は終わっていく。そうなると、今作の中で街がどのように描かれているのか?という疑問は当然生じてくる。

 今作における都市の描写は特徴的だ。コンクリートむき出しの壁、ステッカーやポスターまみれの路地裏、鉄柵。無機質かつ雑多な印象を抱かせる。街並みは暗く、こじんまりした雰囲気で、華やかさとはかけ離れている。最も重要な点は、常に灰色、グレーの色調であるところだ。バトルフィールドや繭の部屋、つまりセレクターバトルに関連する場所は全く異なる。それらは黒と白を基調にしたゴシック調なデザインである。

 ウィクロスにおいて「色」のモチーフは多様される。タマとユキはそれぞれ「白の少女」、「黒の少女」と呼ばれる。デッキの属性も色で区別される。極めつけは最終回の繭とるう子のやり取りだろう。あらゆるものを内包する色として「透明」という表現が登場する。

 このやり取りによって現実世界の雑多さ、卑近さもその延長として肯定されるのだ。最終回においてるう子はセレクターバトルの世界から現実へ戻ってくる。黒と白、明確な区別がなく、灰色に混ざり合った現実もまた可能性を内包する場所として価値を持つ。

 卑近な現実の肯定という一面はエピローグのウィクロスシーンにも表れている。地面にプレイマットを敷き、カードを広げてプレイする。セレクターバトルのような「誇張されたカードゲームの表現」とは真逆である。

  ウィクロスにおけるこのテーマはるう子達の人間的成長を表現するだけでなく、もっとも身近でリアルな姿でのカードゲームを肯定したのである。エフェクトや仮想空間によって脚色されていないカードゲームの姿を描き、そしてそれこそが価値のあるものだと示した。

ジャンルを利用した語り

 ウィクロスはバトルロイヤルものの一種である。複数の「勝者」が発生するなどジャンルらしくない要素はあるものの、ジャンル内での差別化の範疇に収まると言えるだろう。今作はこのジャンルの要素を優れた形で使用し、テーマを語った。

 このジャンルの醍醐味といえば理不尽さであろう。ジャンル元祖の『バトルロワイアル』からして子供たちがいきなり殺し合いに巻き込まれる所から始まる。ウィクロスもまた理不尽まみれの作品だ。願いの逆流、ルリグとなるセレクターがその筆頭であろう。あとピーピングアナライズなんか意味が分からない。*1

 ウィクロスの優れた点はそのようなジャンルのお約束である理不尽さをお約束の域を超えた演出として利用した点である。セレクターバトルの理不尽さはカードゲームが持つ理不尽さにオーバーラップされる。カードゲームの理不尽さ、例を一つ出すなら運の問題であろう。劇中のセレクター達が数々の理不尽に向き合い、それでも前に進もうをする姿は、カードゲームの理不尽さに翻弄されながらも引いたカードに向き合い全力を尽くそうとするプレイヤー達そのものである。また少女たちの物語にこの構図を持ち込んだことで、彼女たちが今後の人生においても、「理不尽の中でも全力を尽くす」あり方を適応させ、生きていくのだろうと思わせる。つまりこの構図は人生そのものだと視聴者に語り掛けるのである。カードゲームは人生だと。

 ジャンルのお約束をカードゲームと結びつける巧みな手腕は劇場版においても発揮される。

劇場版ではTV版でしめされた「孤独」というテーマをさらに深掘りする。まずフィーチャーされるキャラクターは徹底的に取捨選択される。家族以外に関わろうとしないる子、屋敷に閉じこまれられた繭、そしてウリスである。この三人の物語としてウィクロスは再構成された。そしてかれらの孤独に向き合う為のキーとなるのはやはり「WIXOSS」なのだ。

 カードゲームはその性質上絶対に他者を必要とする。一人回しばかりをしていた繭は正にそこを浮き彫りにする演出だ。一人回しでゲームはできない。だからこそカードゲーマーカードゲーマーを求める。彼らは感情に依らないところで相互に依存しているのである。カードゲーマーとしてデッキを握ってさえいれば、誰であろうと必要とされる。求められ、歓迎される。アニメ劇中の描写を思い返して欲しい。セレクター達はバトルを行う為に他のセレクターを求める。そして彼らが相手に課す条件はたった一つ、セレクターである事だけである。バトルロワイアル物として一般的なものであるこのような描写が、カードゲームを題材にした作品である事によって非常に効果的に働いてくる。

 今作はジャンルの要素とカードゲームの性質を巧みに接続した。これにより物語そのものにカードゲームへの肯定を嫌味なく盛り込む事に成功したのである。

 

必然性を伴わないカードゲーム

 二期冒頭、るう子のルリグがタマではなくユキに変化する。それによってるう子は、自身が楽しんでいたのはセレクターバトルではなくタマとの交流であったことに気付く。バトルの魅力とは他者との交流である、という図式はセレクターバトルに対してのみでなく、先の項で述べたように、ただのカードゲームとしてのWIXOSSに対してもあてはめられる。

 他者との交流をしたいのであればカードゲームだけに拘る必要は無い、という疑問が浮かんでくる。実際、作中ではるう子達がセレクターバトルを拒絶し、買い物などの形で交流を深めていく様子が描かれる。物語が進んでいくにつれ、セレクターバトルを行う必要がある場面が登場し、るう子達はそこで提示された目的の為にバトルを行う。しかし通常のWIXOSSにそのような必然性が与えられる事は無い。

 だが彼女たちは全てが終わり、セレクターバトルから解放されたエピローグの場面においてWIXOSSをプレイする。WIXXOSだけが交流の手段ではない。WIXOSSのプレイを誰も強制などしていないというのにである。

 だからこそ、なのだ。WIXOSS以外にも楽しめる事は無数にある、だからこそWIXOSSをプレイするのは純粋にWIXOSSが好きだからであろう。義務や理由で無理に脚色する必要は無い。WIXOSSが他のものより好きだから、他の物より楽しいと感じるからこそ彼女たちは能動的にWIXXOSをプレイする。このようなカードゲームの描き方は、最もストレートな形での肯定のように思える。

終わり

 

 ウィクロスの各要素がいかにしてカードゲームに対する肯定を表現しているかについて述べてきた。今作を観たところでWIXOSSのルールは理解できない。それでもWIXOSSを魅力的に感じるようになる。

 今作はただの商品説明でしかない販促を放棄し、物の本質的な魅力を表現する事に全力を尽くした。商品そのものと真摯に向き合った結果現れた、優れた販促作品である。

 

 もうあまり思いつく事も無いので、割とどうでもいい感想を以下箇条書きしておく。

  • るう子のキャラデザがかわいい。微妙にグレーより?赤っぽい?髪色とか結構繊細なバランスのデザインだなと感じる。ギリギリあざとくならないラインという雰囲気
  • エルドラ、かっこいいぜ
  • てかるう子も遊月も一衣もかっこいいぜ
  • フィジカル的な意味でもっとも強い蒼井晶はむしろメンタル弱いより、るう子達のような強さには欠けているのが面白い
  • ダブステップみたいなBGMが超ノリノリで面白い
  • ウィクロスの世界観だと他のコンテンツとのコラボでルリグ化した娘に妙な文脈がでてウケる
  • opで繭の空間が映る度、デススター表面みたい

 

 

 

 

*1:ウィクロス、悪いところにばかりフィクションの不思議パワーが使われていて凄い