まんがタイムきららmaxで連載されていた漫画、『マグロちゃんは食べられたい!』についてのネタバレまみれの感想文です。
断絶はジャンプスケアの様に、予期せず現れ、 人の心に衝撃を与えます。断絶とジャンプスケアの致命的な違いを上げるなら、断絶は決して一過性のモノでは無いと言う事でしょう。一度見つけてしまった断絶は、増えたり再認識することはあっても消える事は中々ありません。フィギュアについた塗装ハゲみたいな感じですね。嫌だぁ。*1
『マグロちゃんは食べられたい!』は断絶を描く物語といっても過言ではないでしょう。
人と全く異なる価値観を持つまぐろと変人であるみさきの関係は、一見は破れ鍋に綴蓋のコンビに思えるかもしれません。しかし極度のマグロフリークながらも根底には現代日本人としての価値観があるみさきに対し、まぐろには全くそれがありません。話が進めば進むほど、みさきは断絶を実感させられます。
ある時は異種間コメディのギャグとして、またある時は会話の中でサラリと描かれる断絶にはくどさや露悪性のようなものは無く、あるのはある種のリアリティです。
連載時に単話単位で読んでいた時に印象的だった寂しい読後感はそれらによるものでしょう。
最終的には彼女達の断絶は埋まらないままでした。二人の送った日常は無駄だったということか。みさきの話なんてまぐろは聞いていなかったのか。いいえ。全然そんなことはありません。
断絶が埋まらなかったからといって二人の関係に変化が無かった訳じゃない、と言うことは明確に描かれています。『マグロちゃんは食べられたい!』は断絶に対して諦観し、コミュニケーションを放棄するような作品では無かったのです。
そこある違和感と断絶に真摯に向き合い、それによって確かな断絶を知る物語だったからこそ、描かれる断絶にも、そしてその結果であるあのラストにも「う〜んやっぱり分かり合えませんでした〜!」って感じの露悪性を感じられないのでしょう。
「自分が食べられることを至上の幸せと感じる美少女を、実際に食べて終わる」というこの作品のオチは実にセンセーショナルです。しかし、俺はこの終わり方をある種の安心があるもの、地に足がついたもの、として受容することができました。
前述した、女の子達の日常の中にサラリと挿入される「まぐろを食べる」という主人公達の関係性の終わりの暗示や、全く異なる価値観との断絶。そのような描写が招く単話単位でのしっとりとした読後感。あのラストはそれらの延長線上にあり、そこに飛躍も、悪趣味も無いのです。故に納得するしかないものでした。勿論強く感情を揺り動かされはしましたが。
この先、この作品が語られる際、必ずこの「衝撃のラスト」はこの作品の特徴として取り上げられるでしょう。しかしあのラストはこの作品が異種の価値観とそれによる断絶、そして食人。それらに対して真摯に向き合い、目を逸らさなかった結果としてあるものです。この作品の魅力は「答え」だけではありません。それを導き出すまでの「過程」が凄まじいのです。
作品をレコメンドするぞ!って時にセンセーショナルな面ばかりを喧伝してしまいがちな俺*2も、マグロちゃんの伝えるべき魅力に対しては真摯に向き合いたい。マグロちゃんが真摯だから……。